半導体からナノの世界へ
                      大阪大学大学院教授 森田瑞穂(4E)
           
Morita
 新しい世紀は、情報社会への胎動とともに幕開けした。パーソナルコンピュータや携帯電話などの普及は、電子メールやインターネット通信などの情報技術(IT)を身近のものにしている。高度情報社会へ向けて、情報技術を支えるコンピュータや通信システムなどの電子システムのさらなる高性能化が期待されている。そして、電子システムを構成する電子デバイス(素子)の役割がますます増大している。

 情報とは、人間が生まれながらに持っている五感(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)を使って外部世界から取り込み、存在、感性、知性、人格、教養などに繋がる、人間が生きていくうえで最も重要なもの、として捉えられている。そして、情報社会とは、人々が日常的に情報を作成、記録、受信、発信する社会であり、(1)個人の精神的な充足感、満足感を得られる社会、(2)安全、便利、快適な生活を経済的、効率的に営める社会、(3)生産活動を経済的、効率的に営める社会、(4)多様な文化、高度な文明を形成できる社会、として期待されている。

 情報社会において、コンピュータの基本機能は主に演算および記憶であり、同時通訳機などのシステムとしての機能により、言語の壁を破ることが期待されている。通信システムの基本機能は情報の伝達であり、すでに距離の壁を破ることに貢献している。このように、コンピュータ、通信システムなどの電子システムの機能は、情報社会において、人間の時間や空間の制約を解いて、より自然に、経済的に人間の活動を拡大することへの貢献が期待されている。

 コンピュータの性能は、1プログラム計算処理実行時間の逆数(性能=1/実行時間)で与えられる。これまで、コンピュータの性能は、集積回路チップ内のトランジスタ総数にほぼ比例して向上してきている。すなわち、デバイスの数が多いほど性能が高くなってきている。したがって、コンピュータの性能を向上させるためには、第一に微細素子(マイクロデバイス)を開発することであり、微細デバイスを製作する微細加工プロセスを開発することが重要である。第二に大面積チップの集積回路を実現することであり、高歩留まり(良品率)の生産技術が不可欠である。実際、マイクロプロセッサの性能は、デバイスの微細化とチップの大面積化により、チップ内トランジスタ数を増大させて、向上してきている。コンピュータの性能を向上させるために、小さなデバイスが求められている。

 電子システムは、情報を創作、整理、入手、提供するため、情報を加工編集、記録、通信する装置であり、電子システムは集積回路などで構成されている。そして、集積回路は、半導体基板にトランジスタなどが集積されている。トランジスタなどの電子デバイスは、電子システムの基本構成要素として、システムとしての機能を生み出す基本単位としての役割を果たしている。

 集積回路で主に使用されているトランジスタは、金属・絶縁体・半導体電界効果トランジスタである。絶縁体として酸化物を用いたトランジスタは、金属・酸化物・半導体電界効果トランジスタ(MOSFET)である。集積回路では、主に半導体としてシリコン、酸化物としてシリコン酸化膜が用いられている。金属・酸化物・半導体電界効果トランジスタを小さくする指針は、トランジスタ構造の寸法の比例縮小則を原則としている。代表的な寸法は、ゲート長である。ゲート長がトランジスタ構造の中で半導体基板の水平方向の最小寸法となる。半導体基板に対して垂直方向で最小寸法となるのがゲート酸化物薄膜の厚さである。ゲート長が100ナノメートル(1ナノメートルは、10億分の1メートル)のトランジスタでは、ゲート酸化膜の厚さは2ナノメートルである。ゲート酸化膜として、主にシリコン酸化膜が用いられ、ゲート酸化膜の厚さは、分子層で約5層に相当する。金属・酸化物・半導体電界効果トランジスタは、ゲート絶縁膜としてのゲート酸化膜には電流が流れないことを前提としている。しかし、ゲート酸化膜の厚さが薄くなると、電子のトンネル現象による電流が無視できなくなる。したがって、ゲート酸化膜の厚さが極めて薄くなってもトンネル電流が小さいゲート酸化膜の形成方法が重要となっている。

 半導体として単結晶シリコンを使用する金属・酸化物・半導体電界効果トランジスタのゲート酸化膜は、シリコンの熱酸化により形成したシリコン酸化膜である。熱酸化前のシリコン表面の原子スケール(尺度)での粗さが大きいと、シリコン酸化膜を形成した後の酸化膜表面の粗さやシリコンと酸化膜の界面の粗さが大きくなることが多い。熱酸化前のシリコン表面に汚染不純物が存在すると、シリコン酸化膜中に不純物が混入することが多い。また、熱酸化が原子スケールで不均一に進行するとシリコンと酸化膜の界面の粗さが大きくなり、酸化膜の厚さが不均一になる。極めて薄いゲート酸化膜の表面やシリコンとの界面の原子スケール粗さが大きく、酸化膜中に不純物が混入し、厚さが不均一になると、ゲート酸化膜を流れるトンネル電流が増大する。したがって、極めて薄いシリコン酸化膜がゲート絶縁膜として機能するためには、熱酸化前のシリコン表面を原子スケールで平坦に加工し、クリーンなシリコン表面を生成し、酸化膜の厚さを原子スケールで均一に形成することが不可欠である。このように、トランジスタの微細化を推進するために、原子単位での半導体表面の加工、生成や材料の薄膜形成が要求されている。すなわち、超微細デバイス実現に向けて原子の並びを操ることがますます重要になってくる。

 金属・酸化物・半導体電界効果トランジスタを小さくすると、電子の波としての振る舞いが顕在化してくる。極めて薄いゲート酸化膜の電子のトンネル電流など電子の波動性に起因する現象は、トランジスタでは性能を劣化させる原因となっている。一方、電子の波動性を積極的に用いて新しい原理の電子デバイスを目指すことが重要である。電子のトンネル効果を積極的に用いて新しい機能を有する超微細デバイスが期待されている。また、電子1個の移動にスイッチ機能や記憶機能を持たせる単電子デバイスが期待されている。さらには電子の量子としての重ね合わせなどの性質を超並列計算処理機能として活用する量子コンピュータの実現が期待されている。

 二十一世紀の社会において、コンピュータや通信システムなどの電子システムの役割がますます増大し、電子システムの高性能化への期待がより一層高くなる。高性能電子システムを実現する超微細電子デバイスの開発が要求され、電子の量子としての性質を制御する技術が不可欠となり、超微細デバイスを作る加工技術においては材料の原子スケールでの加工が重要となる。